生まれ育った街に長く住んでいると、自分が過ごしてきた年月と反比例して、
街が新しくなっていくのがよくわかる。
空き地や幽霊屋敷みたいな場所が高い建物に変わり、
個人の商店は代替わりをして、姿を変えたり、または悲しいかな暖簾を下ろした店もある。
まぁ、たまに自分の街を散歩するというのは、記憶力との戦いですね。
過去の街並みに思いをはせる為に、脳みそをフル回転させるのだから・・・。
どの街もチェーン店を数多く受け入れ、挨拶しながら通るような商店街が姿を消しつつある。
人ん家の家族構成を知っている魚屋や肉屋。
まったくマニュアルのないサービスをしてくれる八百屋や花屋。
時にはうざいが、
時には優しい。
心の通ったサービスは商店街にはあった。
ずうずうしく、気まぐれで、わがままだけれども
気にかけるという優しさを持っていた。
この春暖簾を下ろした、こことあそこの店のおじちゃん、おばちゃん、ありがとね。
子供の頃からある立派な一本桜がある。
それがある建物の建て替えを乗り越え残っている。
桜の時期は、「さよなら」 「はじめまして」の繰り返しである。
素敵な別れ、より良い出会いが待ち受けていますように。
春っぽい名前のシングルモルト。
「スプリングバンク」
「春銀行」ではありませんよ。
「春の堤」です。
滑らかな舌触りの中にも、ピートの塩辛さが、奥深さをつくり出しています。
「春の小川」なんか口ずさみながら、お試しあれ!